6/29(日) 六甲全山縦走
『ゴール』



----6月29日 18:00----

日中照りつけていた夏の日差しはもうずいぶん傾いて、
少しずつではあるが、辺りは暗くなりはじめていた。
そんな中、彼は走っていた。

(このままいけば13時間をきれる…)

もうどこにも力など残っているはずもなかったが、
それでも、身体のすみに残されていたほんの僅かな力を絞り出し、
海へと続く最後の坂を駆け下りていった。


6月29日18時13分
須磨浦公園駅 ゴール

12時間45分




----6月28日 朝----


青木は迷っていた。

(いくべきか・・・)

先週、敗退した六甲縦走。
1週間が経つが、彼の中では何一つ整理がついていなかった。

(納得がいかない。再挑戦したい。)

事実、先週の結果は彼にとって納得のいくものではなかった。
リタイアした時、最も余力を残していたのが彼だった。
俺は完走できていた。
その悔しさは、1週間経った今でも
彼の中で熱く煮えたぎっていた。



----6月28日 午前----

新田は翌日に予定していた日焼けツアーの件で彼に連絡した。
その時、彼は新田に告げた。
「迷っているが、明日は六甲に行きたい」と。

新田は彼のその一言で全てを理解した。

やはり・・・
そんな気がしていた。
自分でもそうするだろう。

新田にとっても初めての敗退となった六甲縦走。
膝さえ痛くなければ自分も今日にでも再挑戦していたはずだ。
もし青木や羽生がリベンジを狙わないなら、
その方が不思議だった。

「迷っているなら行って欲しい」

新田は本音を告げた

(行って完走して欲しい)

自分が動けないことへのもどかしさ・・・
誰かがリベンジを達成してくれれば
それほど爽快なことはない。

そして、新田には彼にリベンジして欲しいもうひとつの理由があった。

(わだかまりを払拭したい・・・)




-----6月23日----

六甲敗退から1夜明け、
青木と新田は久しぶりに衝突していた。

憤りを抑えられない青木が新田に問いつめる。

「なぜもっと早くリタイアしてくれなかったのか?」
「それがなければ間違いなく完走していたのに・・・」

新田にとってそれは答えようのない質問だった。
確かに自分が早くリタイアしていれば
2人は完走していただろう。
だが、新田にも反論したい部分もあった。
あそこからでも完走できたはずだ。
少なくても自分ならば、怪我も無いのにリタイアはしない。
道に迷おうが、何時になろうと完走する。
責められる覚えはない。

そして、新田は、彼自身も思いもよらないことを口走った。

「別に待ってくれと頼んだ覚えはない」
「そもそも2人が完走しようがリタイアしようが俺はどうでもいい」

さすがにこの言葉は、青木にとってはひどく哀しいものだった。

「失望しました」


こうして、山桜は崩壊の淵に追いやられた。
世に言う“ロッコー危機“である。

だが、彼らは子供ではなかった。
お互い自分の非を認め、
とにかく結果を出すしかないと考えた。

(いつか再び六甲縦走に挑戦して完走してみせる)

2人の山への想いが、崩壊をとどまらせていた。



-----6月28日 夜----

青木はまだ迷っていた。
友達に誘われ飲み会に参加した。
しかし、酒は進んでも酔いは回らない。
カラオケも早々に切り上げ帰宅した。

まだ足の疲れは完全に癒えてはいない。
明日決行すればおそらく単独行になる。
これまで道順に関しては人に甘えてきた部分がある。
果たして成功するのか・・・

しかし、失敗に終わったとしても、それはそれで納得がいく。
とにかく、1日でも早く自分を試してみたい。
そして自分が完走できることを証明したい。
誰にというわけではない。
自分自身に見せてやりたい。

彼は翌日決行することを決めた。



その頃、羽生は仕事から戻り、
明日の日焼けツアーの為に準備を進めていた。

そして青木から連絡が入った。
「明日俺は六甲縦走を決行する。ついて来てくれとは言わない。」

先週15時間もの時間を共に歩き続けた2人。
お互いの気持ちは痛いほどよく分かっていた。
青木にとっては絶対に言っておかなければならない相手。
それが羽生だった。

もし羽生が行くと言うなら2人で行く。
しかし、青木はあえてそれを望んでいるわけではなかった。

羽生にもそれは分かっていた。
彼自身、複数の人間で縦走を達成することが
どれほど困難なことかは前回で十分身に染みていた。
しかし、出来ることなら3人でリベンジしたい
そう思っていた。

だが、もはや自分が何と言おうが彼は決行してしまう。
前回の彼の悔しさが分かっているだけに、
決意の固さも分かる。
彼にはどうしようもなかった。

きっと自分が行くと言えば2人で行けるだろう。
そして自分も縦走を達成できるだろう。
しかし・・・明日だけは無理だ。
この後、昔働いていたバイト先の送別会が朝方まである。
自分を慕ってくれていた後輩の卒業式だ。
欠席するわけにはいかない。

夢だった六甲縦走を、自分ではなく青木が先に達成する・・・
それは彼にとって、一人の山屋として耐え難いことだった。

そして彼は返事をした。


「行ってらっしゃい」



----6月29日 早朝4:00----

新田は家を出て千里に向かっていた。
--青木を宝塚まで送る
前回は自分が敗退の原因となった。
今回は僅かでも力になりたかった。

青木は前回と全く同じ条件でクリアすることを自分に課した。
出発時間も同じ。
装備も同じ。
ただひとつ、下着のトランクスだけは新装備を導入していた。
前回「股間が擦れる」と終始嘆いていた彼にとって
そこだけはどうしても我慢できなかった。

その頃、羽生はまだ送別会の席にいた。
彼は青木にメールを送った。

「絶対完走しろよ」

それは、今彼が言うことの出来る唯一で最大のエールだった。
行くからには、同じ山屋として応援する。
2度と失敗して欲しくない。
それが彼の本音だった。


青木は溢れそうな涙をぐっと堪えていた。
男と男・・・
プライドとプライド・・・
エゴとエゴ・・・
山屋と山屋・・・
羽生と深町・・・
決して相容れないものがある
しかし、だからこそ解かる部分がある

(ありがとう。俺のエゴを許してくれ。)



----6月29日 午前5:10----

空がにわかに明るくなり、朝日がまぶしく射し込む。
新田と青木はスタート地点である塩尾寺の展望台にいた。

暑くはない。
青木の足はまだ鉛のように重かったが、その鼓動は高ぶっていた。

(いよいよだ。この時を待っていた。絶対に完走する。)

青木は山に入っていった。

ここから須磨まで。55km。
何時間かかるかは分からない。
だが、道は間違いなくゴールまで続いている。

(ゴールを!ゴールを目指せ!)


初めての単独行。
本来恐がりな自分が、今ここで、この薄暗い山道を一人で歩いている。
夢にも思わなかった。
いったいいつからこんな男になったんだろう?
山屋になったのか?

新田や羽生が、たまには単独で山登りをしてみたいとぼやいていた時、
自分には絶対そんな気持ちはないと思っていた。
みんなで登るから楽しい。
楽しいから登る。
そう思っていたが・・・
まさか自分が最初にエゴることになるとは。
ふっ・・・

いつもなら歩いている時間の半分は喋っている彼も
この日は喋る相手もいない。
ただ黙々と歩きながらそんなことを考えていた。


足は重いが、ペースは好調。
肺の負担もほとんど感じない。
いい感じだ。
道も記憶がまだ鮮明だ。
今日は・・・行ける!

2時間後、彼は六甲山上に出た。
そこで彼は家に帰ったはずの新田の姿を目にした。
新田は何も言わず、シャッターを切りまくっている。

(なにやってんだ、このおっさんは?)

無視してそのまま歩き続ける。
そして、六甲最高峰到達。
新田はその瞬間を確認すると、今度こそ家に帰っていったようだった。


新田は、帰りながら思っていた。
あのペースなら間違いなくやれる。
それにしても・・・本当に一人でやるとは大した根性だ。
新田は急に彼が逞しく思えた。

そもそも新田が山桜を解散し真山桜へと構造を変えたのは
これを望んでいたからだった。

みんなど素人のうちはいい。
誰かが企画してそれにみんなが付いていけばいい。
しかし、個人個人が山に目覚め始めると、
どうしても輪に収まりきらない。
登りたい山もコースも価値観も、何もかも違ってくる。
そしてエゴとエゴがぶつかる時が来る。
常に和を保ち続けるのは無理な話だ。

それならば、
いっそエゴを押し出すことを美徳とするような環境を作ればいい。
悩んだ末に生まれたシステム
個のエゴ桜と和の山桜の共存。
「和」を存続させながら「個」を伸ばす。
エゴ進化。

前回の六甲縦走で真山桜が始まり、
その結果いきなりエゴ桜が発生するとは・・・
ドンピシャじゃないか。

新田は、相変わらず冴えまくっている自分の判断に満足し
清々しい朝のドライブウェイを抜け家路へとついた。



----6月29日 午前11:45----

ん?
新田は青木からのメールで目が覚めた。

「大竜寺到着」

大竜寺?
慌てて地図を引っぱり出す。

まさか・・・
先週、この時間はまだ摩耶山あたりだった。
大竜寺と言えば、摩耶山から長い下りを下りて
川を渡り、更に登ったところにある。

前回もそこまではかなりハイペースだと思っていたが、
それより更に2時間も早い!?

よっぽど話し相手がいなくて暇なのか。
夜に須磨まで迎えに行くつもりだったが・・・
これはのんびり寝ちゃいられない。

早速、メンバーに、男が一人六甲で戦っていることを告知。
相変わらず反応薄だが、そんなもんか。エゴ桜。

その後も青木から続々と経過ポイントの報告が入る。

(速い!!これは大記録になりそうだ!)

新田もそれを見ながら自分がワクワクしていることに気が付いた。

(そろそろ俺もゴール地点に向かわないといけない)

新田はともにゴールを祝うメンバーを募集した。
しかし、反応が薄い!
羽生は、まさか寝てるのか?
仕方ない・・・一人で行くか。
1分でも遅れてしまっては意味がない。
新田は須磨へ向け車を走らせた。

須磨へ向かう途中、高速から六甲の山峰がずっと右手に見えていた。
行けども行けども、延々と続く山峰。
今まで意識して見たことは無かったが・・・
これは想像を絶する距離だ。
この全てをあいつは歩いてるというのか・・・

その偉大さに新田は押しつぶされそうになっていた

青木よ。

あんたはこれを全部歩いてるんだぜ?
これは十分誇りに思っていい。
大阪に住んでいれば、どこからでもその勲章が見えるよ



----6月29日 午後17:00----

新田は海水浴客で賑わう須磨に着いた。
まだ日射しは暑い。
ここにもうすぐあいつが下りてくる・・・

新田は、出迎えが自分一人では寂しかろうと、
近くにいた派手な衣装のブラジル人集団と話し、
出迎えを協力してもらうことにした。

これだ!
サンバだ!カーニバルだ!
笛も太鼓もある!
新田も衣装を借りてその瞬間に備える。

しかし・・・
遅い。
ここへ来て急に通過地点報告が遅れはじめている。
やはり相当足にきているのか・・・
怪我をしていなければいいが・・・
新田は少し心配になってきた。
いや、それより心配なのはブラジル人だ。
露出度の高い衣装を着ていた為、皆、蚊の餌食になっている。
もう30分は経っている。
これ以上待ってもらうのは・・・
せっかくの好意、申し訳ないがここはお引き取り願おうか。


いつのまにかそんな夢を見ていたようだ。
いかんいかん。昨日の徹夜がこたえている。
我に返ると、辺りが急に寂しく感じた。
日もずいぶん傾いてきた。
青木・・・


その頃、青木はゴールを目指して着実に進んでいた。
前回コースを外れたところを確認し、
慎重に道を確かめながら進んでいた。

もうすぐ終わる。
今や誰の目にも完走は明らかだ。
彼の目には朝スタートした瞬間から明らかだったことだ。

(俺は完走する)

身体はさすがにつらい。
どうして2週連続でこんなつらい思いをしなければいけないのか。
昨日の夜、母親に言われた。
「そんなことやめときなさい!」
「この前行けなかった部分だけ行ったらあかんの!?」
そう言われた。

全然違う。
それでは全く意味がない。


なぜこんなつらいことをしているのか・・・
答えは分かっている。
彼は最後の力を振り絞り、坂道を走っていった。


ひたすら待っていた新田の目に
突如、山を駆け下りてくる青木の姿が飛び込んできた。

ついにこの瞬間が来た!!
すぐそこがゴールだ!
さまざまな想いが頭の中を駆け巡る!!

55kmの長い道のり
それが今・・・終わる!!

終わらせる!!


----6月29日 午前18:13----

青木は須磨浦公園駅に立った。
彼は見事、単独で完走を成し遂げたのだ。
朝、宝塚を出発してから12時間45分。
大記録。

(ちくしょう!すごいよ、あんた!)

青木は言葉とも分からぬ声で絶叫していた!!

新田の心も晴れ渡っていた。
この記録は誰も汚すことの出来ない崇高な記録だ。
そこらへんの山屋にもなかなか真似は出来ないだろう。
新田は彼の根性を、ヒマラヤ以来久々に見直していた。

普段、生活していて、
始まりと終わりがきっちりとあることは意外に少ない。
大抵、いつのまにか始まっていたり、
気づいたら終わっていたり・・・

しかし、今日の青木の道のりには
はっきりと始まりと終わりがあった。
5:28 塩尾寺
18:13 須磨浦公園
その始まりと終わりがどれほど重要な意味を持っていたか
彼ははっきり認識していた。


----6月29日 午後20:00----

千里には、既に彼の成功を祝うため仲間が集まっていた。
いや、厳密に言えば彼の成功を祝うという名目で
土井ちゃんの試験お疲れさま会を開いていたのかもしれない。

しかし、その席上で上野が
自分も来週単独で六甲縦走するつもりだったと告白した。
いつもの冗談かと思ったが、よくよく聞けば
先週急遽病気で行けなくなったことが悔しく、
こっそり一人で行くつもりだったという。

ここにもいたのだ。
山屋として目覚めはじめた人間が。

そして、この席にはいなかったが、
羽生も間違いなく今日の青木の結果に触発されているだろう。
そしてまた新たなエゴ桜に挑戦する・・・
エゴ合戦によるエゴ進化。
いい方向へ進んでいる。

今日の青木の「ゴール」が「始まり」なんだと
新田は確信していた。



前回 今回のタイム
05:30
06:30
08:00
09:00
11:30
12:50
13:30
14:00
15:00
16:00
18:00
18:30
20:30

 
 
 
05:28 宝塚 塩尾寺スタート
06:20 大平山    
07:45 六甲最高峰
08:25 六甲展望台
10:05 摩耶山
11:25 川原
11:45 大竜寺
12:15 鍋蓋山
13:05 菊水山
13:55 ひよどりごえ駅
14:55 高取山
15:20 妙法寺
16:10 須磨アルプス(馬の背)
17:00 高倉台
18:00 鉢伏山(展望台)
18:13 須磨浦公園ゴール


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