12月7日
俺達が六甲縦走に挑む理由。 in 六甲全山


青木隆幸:著



なぜ「六甲縦走」に挑むかって?
考えたこともないよ。そんなことは。
だったら、代わりにみんな想像してみてくれよ。
「俺が六甲に取り憑かれているから?」
「それとも、俺が単にMだから?」
両方とも当たってるかもしれないけれど、ちょっと違うよ。
とにかく、今はそんな野暮な質問するなよ。

最後に理由をきっちり言うからさ。
その前に、この前の「六甲縦走」のレポートを読んでみてくれよ。


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一か月前。

自分の中で完結した「六甲縦走」。
半年程前、自分の中でできることをやった。
けれど達成感を得たのと引き換えに、
山に向いていた自分の気持ちを少し失ってしまった。
大会の一か月前、新田さんが「縦走大会には参加しないの?」と尋ねてくる。
「無理無理、そんな体力はもうないですよ。笑」
けれど、その一週間後には参加申し込みを済ませていた。
勝ち気な俺の性格をよく知っている新田さんに
いいようにコントロールされてしまった。
すでに「六甲縦走」を果たしていた、羽生にも声を掛けてみる。
「行きます」の二つ返事。
この二人で挑むことになるとは。



前日の夜。

今回、できる限りトレーニングをしようと思った。
中途半端な身体で行くと、やばいことになる。
結局、ほとんどトレーニングできずに前日まできてしまった。
前日の土曜日。
終電まで会社にいた。なぜ、いつもこうなる。。。


当日の朝。

もう一人の六甲マスター、上野が車を出してくれた。
羽生も時間どおり、やってきた。
ついに来たか、この時が。
羽生は前日の夜8時には寝ていたという。
けれど、これはあとで聞いたことなのだが、
実際は風邪ぎみのため、自然に寝てしまったのだという。
とにもかくにも、二人とも体調はあまり良くない。
けれど、二人の事情など他人には関係ない。
記録しか残らない。とにかくゴールするしかない。


スタート。

正直、どんなに寝不足だろうが、完走する自信はある。
あとはどれだけ、前回よりも早く走破できるかどうか。
実際は半年前と向きも距離も違う。それでも身体が覚えてる。
登録を済ませた者からスタート。少しイメージと違った。
羽生と二人でただ歩く。
羽生と青木。
はっきり言って、この二人が一緒に参加して一体どうなるのか。
みんなの興味はここに集中していたかもしれない。
羽生の気持ちは知らないけれど、俺は少し意識をしていた。
意識せずに登れるわけがない!!
それでも二人はペースを合わせ、前に進み続けることになる。
まわりの参加者も早い。
気を抜けない!!この緊迫感がたまらない!!
おばちゃんでも、いつもの登山で出会うおばちゃんと比べるともの凄く速い。
登り込んでいる、そんな雰囲気がびしびし伝わってくる。
縦走コースを走るランナーみたいな奴もいる。
というか実際ランナーだ。
ミズノでシューズ、ウェアで固めたおっさんらはマジで速い。
こいつらには太刀打ちできない。
自分の陸上部時代を思い出した。
あの頃はナイキよりも、ミズノ、アシックスがカッコ良かった。
そう思う俺も、もうおっさんか。

けれど、今の時代は
俺の履く「モントレイル/ハリケーンリッジ」。
こいつに限る。

話を戻す。
二人は自分たちの持つ記録以上のスピードで進み続ける。
羽生の根性も見上げたものだ。
この時点で、半年前のことは気にしなくなっていた。
二人とも「しんどい」なんて言葉は一回もはかない。
もちろん大好きな私語もほとんど口にしない。
ずんずん進む。二人は本気だった。

俺は途中から一つの記録を意識しはじめた。
それは、ゴールするまで一度も座らないこと。
9時間、ずっと。

結果、14時35分に二人は揃ってゴールする。
前回よりも数段速いスピードで。
羽生は羽生の限界を攻め続けた。
俺は俺なりの方法と表現で限界を攻め続けた。

でも、まだまだ速い奴はいるもんだ。
途中十人以上の人に抜かれた。
一番速い奴なんて午前中にゴールしていた。
本当にすごい!!
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冒頭の「なぜ六甲縦走に挑むのか?」
このレポートを読んでくれたら、もうわかっただろ?

「それは自分が本気になれるから」
普段の山登りとは違った感情がそこにあるからさ。

解釈を変えると、ある意味「自分の身体を攻める」
そう、それは「Mっ気」と微妙なバランスでなりたっているのさ。
攻め続ける男はみんなそうさ。
嘘だと思ったら、まわりの男に聞いてみなよ。
ふっ。


〜 あとがき 〜
新田 as こた


山桜における六甲の歴史は意外に古い。
2002年10月5日、まだみんな駆け出しの山屋だった頃。
山トレと称してロックガーデンから六甲山へ登った。
その時既に、リーダーである羽生丈二こと中森拓也は、
六甲の地図を持っていた。
そして六甲縦走大会というものがあることを僕達に語っていた。

2003年に入り、1月に再び同じコースを攻めた。
そして2月。
僕達メンバーにとっても急に六甲縦走が現実味を帯びたものとなる。
リーダー羽生の初企画。
彼は六甲縦走大会コースの一部をその企画にあてたのである。
彼は、「これは六甲縦走の下見だ」と公言していた。
だが、この時でさえ僕達は本当に縦走に挑戦する気などなかったのかもしれない。

そして、運命の6月22日。
山桜第一部が終わり、真山桜へ移行した第1回目の企画。
リーダー羽生は突然「六甲縦走」を打ち出した。
どうしてそこまで六甲にこだわるのか。
周囲の理解は得られず、参加者は現れない。
山トレ時代から行動を共にしていた僕と青木はその企画にのった。

そして結果は、僕の負傷によるリタイアとなった。
もがく僕。
もがく青木。
そして、もがく羽生。

翌週、青木は単独で再挑戦し見事ゴールした。
もがく羽生。

それから数ヶ月。
今までどんな時も決して休まず全ての企画に参加し続けていた羽生が
山桜に姿を見せなくなっていた。

そして、半年の月日が流れ、再び羽生の企画の順番がきた。
当初、羽生はターゲットを石鎚山に設定していた。
だが、皆都合があり参加できず、メンバーは羽生と上野の2人。
羽生は突然ターゲットを六甲縦走に変えた。
それは誰も予期せぬ出来事だった。
もがく上野。

そして、2人はなんとか完走を成し得る。

このゴールを受けて僕は動いた。
今こそ六甲縦走大会にエントリーすべきではないか。
青木をその気にする方法は心得ていた。

そして青木と羽生は2人で完走し、
日本の登山界に公式記録を残すことになる。

こうして、長かった六甲縦走への挑戦のドラマが幕を閉じたのである。

あれ・・・1人だけ完走してないやん!




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